6.4 数学的解析 (2) 無次元化と基本再生産数

有名な基本再生産数 (basic reproduction number) とその意味 (「基本再生産数が $ 1$ より小さいと感染者数は減少して16$ 1$ より大きいとしばらくの間は増える (流行する)」… -- これをいきちげんり閾値原理と呼ぶことがある) を説明する。

方程式をいわゆる無次元化して、簡潔な形に変換してから説明する。

$\displaystyle \widetilde{S}(t):=\frac{S(t)}{N},\quad
\widetilde{I}(t):=\frac{I(t)}{N},\quad
\widetilde{R}(t):=\frac{R(t)}{N},
$

$\displaystyle R_0:=\frac{\beta N}{\gamma}$ (6.5)

とおく。 この定数 $ R_0$ は、 除去者の数 $ R$ と紛らわしい (特に $ R()$ の初期値 $ R(0)$$ R_0$ と書きたくなりそう…) が、 混同しないように注意する。 (本当は「$ S$$ I$ の2つだけを考えれば十分」であるから、 早めに $ R$ を書かないようにしておくのが良いのかも。) $ R_0$ を “R nought” (アール・ノート) と読み、 基本再生産数 (the basic reproduction number) と呼ぶ。

このとき次式が成り立つ。

$\displaystyle \frac{\D\widetilde{S}}{\D t}=-\gamma R_0\widetilde{S}\widetilde{I...
...I}-\gamma\widetilde{I} ,\quad \frac{\D\widetilde{R}}{\D t}=\gamma\widetilde{I}.$    

さらに時刻変数も

$\displaystyle \widetilde{t}=\gamma t
$

と変数変換すると

$\displaystyle \frac{\D\widetilde{S}}{\D \widetilde{t}}=-R_0\widetilde{S}\wideti...
...I}-\widetilde{I} ,\quad \frac{\D\widetilde{R}}{\D \widetilde{t}}=\widetilde{I}.$    

以上をまとめておく。

\begin{jtheorem}
% latex2html id marker 1383
$S(t)$, $I(t)$, $R(t)$\ が (\ref...
...$R_0$\ は (\ref{eq:基本再生産数の式}) で定義する。
\end{jtheorem}

もともと $ S$, $ I$, $ R$ は個体数 (人口) なので単位は例えば「人」、 $ t$ は時刻なので単位は例えば「日」であるが、 $ \widetilde{S}$, $ \widetilde{I}$, $ \widetilde{R}$, $ \widetilde{t}$, そして $ R_0$ も無次元量であり、単位を持たない 17

必修課題 6.4.1   $ R_0$ が無次元数であることを確かめよ。

$ \widetilde{S}$, $ \widetilde{I}$, $ \widetilde{R}$ は、 それぞれ感受性者、感染者、除去者の全体(全人口)に占める率である。 COVID-19の第1波では、 $ \gamma=\frac{1}{4.8}\;\mathrm{\text{日}}^{-1}$ であったと言われている (そう仮定してシミュレーションが行われた)。 この場合、 $ \widetilde{t}$$ 4.8$ 日を単位として測った時刻ということになる。

以下では、 $ \widetilde{}$ を省いて

\begin{subequations}% 2022-02-21 17:46の式群
\begin{align}&\frac{\D{S}}{\D {t...
...{t}} = R_0{S}{I}-{I} ,\\ &\frac{\D{R}}{\D {t}}={I}.\end{align}\end{subequations}

と表す。これを無次元化 SIR 方程式と呼ぶことにする。


単位を替えただけなので、元の問題と本質的な違いがある訳ではない。 次の2つの定理は、二つ目の (5), (6) 以外は前の定理で証明ずみとして良い。


\begin{jtheorem}
% latex2html id marker 1455
\begin{enumerate}[(1)]
\item
$S(t...
...ref{eq:無次元科SIR2}) の解軌道である。
\end{enumerate}\end{jtheorem}


\begin{jtheorem}
$S(0)>0$, $I(0)>0$\ と仮定する。
\begin{enumerate}[(1)]
...
...期値に対して $\dsp\lim_{t\to\infty}I(t)=0$.
\end{enumerate}\end{jtheorem}

証明. (1)-(4) については、 定理 6.4 の (1)-(4) を書き直すだけである。
(1)
(a)
$ S$ は減少関数であり $ S(0)\le 1$ であるから、 任意の $ t\in\mathbb{R}$ に対して $ R_0 S(t)-1\le R_0\cdot1 -1=R_0-1\le 0$. $ I(t)>0$であるから $ I'(t)=(R_0S(t)-1)I(t)\le 0$. ゆえに $ I$ は減少関数である。
(b)
$ R_0>1$ かつ $ \dfrac{1}{R_0}<S(0)$ が成り立つとき、 $ R_0S(0)-1>0$. 連続性より、ある $ \eps>0$ が存在して、 $ R_0S(t)-1>0$ ($ \vert t\vert<\eps$). このとき $ I'(t)=(R_0S(t)-1)I(t)>0$ であるから $ (-\eps,\eps)$$ I$ は増加関数である。

(とりあえず $ S(t_{\text{m}})=\dfrac{1}{R_0}$ を満たす $ t_m$ の存在を認める。) $ S$ は狭義減少関数なので $ t>t_{\text{m}}$ に対して、 $ S(t)<S(t_{\text{m}})=\frac{1}{R_0}$. ゆえに $ R_0S(t)-1<1-1=0$. ゆえに $ I'(t)=(R_0S(t)-1)I(t)\le 0$ であるから、$ I$ は減少関数である。

(c)
(2)
$ (S(t),I(t))$ は曲線 $ \left\{(S,I)\relmiddle\vert
I-I(0)=S(0)-S+\frac{1}{R_0}\log\frac{S}{S(0)}=0\right\}\cap
\left\{(S,I)\relmiddle\vert I\ge 0\right\}$ 上に載っている。 ゆえに、ある $ \delta_1>0$ が存在して、 すべての $ t\in\mathbb{R}$ に対して $ S(t)\ge \delta_1$.

$ S(t)$ は単調減少で、$ S(t)>0$ ( $ t\in\mathbb{R}$) であるから、 $ \dsp\lim_{t\to\infty}S(t)$ が存在する。

$ I(t)$ も最初のうちは単調増加という場合もあるが、 あるところから先は単調減少に切り替わり、 やはり $ I(t)>0$ ( $ t\in\mathbb{R}$) であるから、 $ \dsp\lim_{t\to\infty}I(t)$ が存在する。

実は $ \dsp\lim_{t\to\infty} I(t)=0$ が成り立つことを背理法で証明しよう。 $ \dsp\lim_{t\to\infty} I(t)\ne 0$ と仮定すると、 ある正数 $ \delta_2$ が存在して、 すべての $ t\in\mathbb{R}$ に対して $ I(t)\ge\delta_2$. これから

$\displaystyle \left\Vert(S'(t),I'(t))\right\Vert\ge\left\vert\beta S(t)I(t)\rig...
...left\vert S(t)\right\vert\left\vert I(t)\right\vert\ge\beta\delta_1\delta_2>0.
$

これから解軌道の長さが $ \infty$ であることが導かれ、矛盾が生じる。 ゆえに $ \dsp\lim_{t\to\infty} I(t)=0$. $ \qedsymbol$
$ \qedsymbol$

メモ: 十分時間が経過すると $ S(t)<\frac{\gamma}{\beta}$ となることの証明: 背理法を用いる。 $ S(t)\ge\frac{\gamma}{\beta}$ ($ t>0$) と仮定すると、 $ I'(t)\ge (\beta \frac{\gamma}{\beta}-\gamma)I(t)\ge 0$. ゆえに $ I(t)\ge I(0)$. これから $ S'(t)\le -\beta\cdot\frac{\gamma}{\beta}
I(0)=-\gamma I(t)$. ゆえに $ S(t)\le S(0)e^{-\gamma t}$. これは $ S(t)\ge\frac{\gamma}{\beta}$ と矛盾する。


\begin{question}
% latex2html id marker 1533
感受性者ばかりの集団に...
...が終息するまでにどれだけ感染するか}
\end{figure}\end{question}


以下の (6.9) という方程式を掲げている本も多いので、 問にしておく。


\begin{question}
人口のほぼ全体が感受性者である集団に、
時...
...n}
e^{-R_0z}=1-z
\end{equation}が成り立つことを示せ。
\end{question}


独白   $ R_0$ を与えたとき、$ z$ を求めると考えると方程式を解く話になるが、 逆に $ z$ を与えて対応する $ R_0$ を求めるのは、

$\displaystyle R_0=-\dfrac{\log(1-z)}{z}$ (6.7)

という単純な計算だ。右辺の関数のグラフを描くのは簡単で、 図8 (横軸 $ R_0$, 縦軸 $ z$) の代わりになる。 $ \qedsymbol$

桂田 祐史