A. E「対数の世界」

E(君|さん)の卒研レポートのタイトルは「対数の世界」である。 本人の希望で一般公開はしないということで、 ここでは少し詳しく内容を紹介しておく。


ハイラー・ワナーには当然対数関数についても書いてあり、 普通対数の発見者とされる Napier についても一応は言及されているが、 常用対数の創始者とされる Briggs の計算法から本格的な議論を始めている。 残り時間が非常に限られていたのだが、 本人の強い希望で Napier について調べることになった。

Napier (1550-1617, Scotland の Edinburgh に生まれ、 Edingburgh にて没する) は、ガリレオ (Galileo Galiel, 1564-1642, Pisa に生まれ Arcetri にて没する) とほぼ同時代人で、 球面三角法や Napier の計算棒5(「Napier の骨」とも言う), 小数「点」を表すための記号として “.” を使うことの提唱などでも知られている。 対数を発見 (発明?) したのも球面三角法の計算の効率化 (それは「大航海時代」とも称される時代の要請でもあった) が動機であった。 200年程後になって、Laplace が

by shortening the labours, doubled the life of the astronomer
(対数の発見は、計算の) 苦労を減らすことによって、 天文学者の寿命を2倍にした6
と評したのは、まさに Napier が目指したところであったものであると言える。

著書の序文によると対数について研究を始めたのは 1594 年頃で、 それから 20 年に渡って計算することで、 半径 $ r=10^7$ の円における70度から$ 90$度までの$ 1$分($ =1/60$度) 刻みの角度 $ \theta$ に対する正弦

$\displaystyle x=r \sin\theta$   $\displaystyle \mbox{(ただし三角関数は $7$ 桁精度、つまり $x$ は実際には整数値)}$

の「対数」の数値 (小数点以下を四捨五入して整数値に丸めてあり、 多くの場合 8 桁の整数である) の表を作成した8。 ただし「対数」は Napier の定義によるもので、それは次のようなものである。
Napierの対数の定義
$ y$$ x$ の (Napier の意味の) 対数であるとは、

$\displaystyle \frac{x}{r}=\left(1-\frac{1}{r}\right)^y
$

が成り立つことを言う。 以下この文書では $ y$ $ \mathrm{Nap.Log} x$ と表すことにする。

容易に

$\displaystyle \frac{y}{r}=\log_{a}\frac{x}{r},\quad
a:=\left(1-\frac{1}{r}\right)^r\kinji \frac{1}{e}
$

であることが分かる。 しばしばこの事実は 「Napier の対数は実質上 $ 1/e$ を底とする対数である」 と説明される ( $ a-\dfrac{1}{e}=-1.8\cdots\times 10^{-8}$)。

$ \mathrm{Nap.Log} $ の性質として、

$\displaystyle \mathrm{Nap.Log} \left(\frac{x y}{r}\right)=\mathrm{Nap.Log} x+\mathrm{Nap.Log} y
$

をあげておこう。 この事実を「Napier の対数では、 現代の対数の持っている性質 $ \log (x y)=\log x+\log y$ のように 積を和に変換していない」と説明してある本も多い。 しかしこれは誤解を招きやすい表現であると思う。 例えば $ x=r\sin 12^\circ34'$, $ y=r\sin 56^\circ78'$ の 積を Napier の数表を用いて求める計算は次のようになる (準備中)。

Napier のラテン語の論文 “Mirifici Logarithmorum Canonis Descriptio” が 1614 年に発表されると、 敏感に反応した人達がいた。 Edward Wright は 1616 年に英訳を発表している (http://www.ru.nl/w-en-s/gmfw/bronnen/napier1.html)。 また Henry Briggs は発表翌年 (1615年) の夏に、 馬で四日間の旅をして Napier を尋ねて一月ほど逗留し、 対数について議論したそうである。 常用対数の概念は二人の合作であるらしい。 Briggs は翌年の夏も Napier を尋ね、 さらにその翌年の夏も Napier を尋ねようとしていたが、 春に Napier がなくなって果せなかったという。

Napierの没後、 “Mirifici logarithmorum canonis constructio” が出版され、 対数表の作り方が公表された。 この論文の中で、小数点の



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桂田 祐史
2019-03-01