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高木貞治『函数論縁起』 からの引用
ガウスからベッセルへ (1811年12月18日)
『……当方の学芸報知 (Gelehrter Anzeiger) に於て予にその論文
[ベッセルの
に関する論文]の
解題をすることを貴下は望まれるそうであるが、しかし親愛なるベッセルよ、
我々の間柄では、それに先だって書信に由って意見を交換して、
すべ凡ての点に於て君と予の間の意見が一致するようにしたいと思う。
それ故次に述べる予の注意の趣旨を諒察して、腹蔵なく御高見を知らされたく
願う。曾て君の言ったことから推察して我々に共通なる信念であろうと
思うのであるが、数学に於ては真に意見の相違するということは有り得ないであ
ろうから、思想の交換に向って一致点に達することの出来ることを予は疑わない
のである。今若し人あって解析に新函数を導き入れんとするならば、予は先ず問
うであろう:彼は変数を実数のみに限定して、虚数の如きは蛇足 (Ueberbein)
と見做すのであるか、或は又予の原則とする如くに、数の世界に於て虚数
にも実数と平等の権利を享けしめんとするのであるかと。
ここでは実用上の利益を云々するのではない。
予の見る所では解析は独立の一科学である。若しもかの仮設の数 [虚数] をそこ
から除外するならば、美観及び円滑に於て失う所多大であって、
一般に通用すべき真理に絶えず面倒なる制限を加える必要を生じるであろう。
予はこの点に関して貴下も概略は御同感と信ずる。それは既に貴下が
についての考察の途を途絶せんとは欲しないからである。
さて然らば なるとき
は何を意味するか。
もしも明白なる概念に基づいて論ぜんとするならば、勿論 に無限小なる
増加 (それも
の形) を与えて に達した所で、
それらの
の総和を作るべきである。
そのようにして意味 [積分の] が確定した所で の一つの値から他の値
に連続的に行く途は [複素数平面上で] 無数にある。
さて、予は言う: 積分
が二つの相異なる
途に応じて取る値は常に同一である。但しそれらの二つの途の間に挟まれたる面
上に於て、何処でも
にならないとする。
本当は
は の一価函数であるか、少なくともこの面上では
連続を破らないで取り得る値が唯一組あることを仮定するのである。これは
美麗なる定理である。証明も難しくはないから適当の機会に発表するであろう。
この定理は級数への展開についての他の美しい真理にも関係を有する。
各点へは
になる点を通らないで行けるから、
予はさような点は避けるべきことを要求する。
さもなければ
の基礎概念が不明瞭になって
矛盾が生じやすいであろう。
尚、是に由って明らかなる如く、
から生じる
函数は変数の一つの値に対して多くの値を有し得るのである。それは の
その値に達するのに
になる点を廻らないこともあり、
一回廻ることもあり、又数回廻ることもあるからである。例えば
を
で定義するならば、 を廻わる毎に 又は が
加わって、 の多値の意味が明らかに分かる。
が の有限の値に対して決して無限大にならないならば、
積分は必ず一価関数である。例えば
とすれば
は の一価関数で、その値は常に収束する所の、
従って常に唯一の意味を有する所の次の級数によって表される:
etc
[下略]
ガウスというものは既に 1818 年に、このようなものを自家用として秘蔵して
いたのである!』
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Masashi Katsurada
平成23年1月13日